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平泉中尊寺
2008.2.5

中尊寺は、嘉祥3年(850)、天台宗の高僧、慈覚大師円仁によって、この地に弘台寿院という寺が
開かれたことに始まるといわれています。関東から東北地方にかけて、慈覚大師のいい伝えをもつ
お寺は数多くみられます。

その後、長治2年(1105)より、奥州藤原氏初代清衡公によって多くの堂塔伽藍が建立されました。
清衡公は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生を
かえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争の
ない平和で平等な社会をつくりたいと願いました。

「中尊寺」の寺号は、東北地方の中心という意味とも、また、たとえ辺境とされる地にあっても、今立っ
ているその場所こそが自分にとって法界(仏さまの世界)の中心である、という意味が込められている
ともいわれています。この時代の唯一の建造物である金色堂には、この地方の産物である金のほか、
南海産の貝や木材がふんだんに使われ、また経蔵には金や銀をつかって書写された「中尊寺経」や
中国から輸入された「宋版一切経」が納められ、現在に伝えられています。

清衡公の願いが実を結び、東北地方はおよそ100年間、大きな戦争のない平和な時代が続きます。
この間、二代基衡公、三代秀衡公によって仏教による平和都市の建設が進みます。鎌倉幕府の歴史
書である『吾妻鏡』によると、中尊寺の規模は「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」と伝え、さらに毛越寺、
無量光院といった大寺院が都市の中核をなしていました。


               能舞台、お盆頃薪能が行われるようです

  

  

中尊寺金色堂、中は撮影禁止となっています
名前の通り、金色で彩られた堂は荘厳そのものです
  

近くの駐車場に、ジュニアです
時期的にも閑散期のためこの通り、車はほとんどいません
  
池もこの通り、氷の上に雪が積もっています

  

  

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