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孫見せ旅〜三陸沿岸鎮魂旅
2011.9.15〜9.20
相模原にいる長男宅の孫、生まれて2年になるがお袋と対面していない。そこで連休を利用して顔見せに。
都合もあり行動は別行動に。
15日夕方出発し、岩手山サービスエリアに宿泊、16日の午前到着の予定、長男宅は酒田市に宿泊後、
青森を目指すことに。
去年も同じような計画を立てたが直前に高熱を出し、急遽キャンセル。今年は何もなければいいが・・・
と思っていたら、やはり・・・孫が宿泊先のホテルのベッドから飛び降り足にひびが入り、ギブスをつけた
とか、急遽キャンセルしたいとのことだが、病気ではないので行くように説得。

9月15日
夕方5時岩手山サービスエリアに到着
夕方だというのに暑い、何でこんなに暑いのだろう、これではエアコンのお世話にならざるを得ない。
スイッチオン、フ〜生き返るの〜
クーラーボックスにはキンキンに冷えた缶ビールが、人生の楽園ですな。
焼酎のお湯割りを頂いて就寝。

  

9月16日
早目の起床、今日も当たり前のように快晴、日本列島は亜熱帯地方になってしまったみたい。
この位置から実家」までは3時間もあれば十分行ける距離、まあ、お昼頃に到着すればいいだろう。
13:00過ぎ長男家族が到着。
長男の孫、足にギブスをしているものの食欲は旺盛、特に果物には目がありません。
いくらでも食べられます。
  
妹夫婦も来ており、大人数にびっくりしたのか、お袋にも近くまではいいのだが、ある程度の距離に近
づくとダメのようです。
ほら、距離を置くとこの通りニコニコ
顔見せだけで夕方には相模原に向け出発

  

9月18日
我らはしばらく滞在、お手伝いをすることに。
気になっているマイ山の様子を見に、台風で根元から倒れた栗の木であろうか、このままにしておく
わけにもいかず、処理することに、太くて切りごたえがあります。
ストーブの薪に丁度いいが運搬手段がないのが残念。
  

十分気をつけていたつもりだが、最後にチェーンがかんでしまいました。
こうなるとどうにもなりません。一度自宅に帰ってを用意し打ち込みました。さすがに効果抜群、
一発ではずれました。
何となく林業作業者の雰囲気が出てきたと思いませんか。
見ての通り、汗でシャツがビショビショ、林の中は風が遮られ、これ以上やると熱中症の危険も。
この辺で退散としましょうか。
  

自宅付近の夕焼けがきれいです。それも地平線に沈む夕日がここで見れるとは気がつかなかった。
新しい発見です。



9月20日
仙台に向けて国道45号線の旅です。
どうも米軍戦闘機の訓練がせわしい、尖閣諸島をめぐる中国問題が影響しているのか。
まあ、偵察と言っては何ですが三沢空港で様子をみることに。

  
戦闘機の離着陸、タッチアンドゴウの訓練をしている最中でした。
それにしても離陸時のエンジンのすさまじい音、これを繰り返している沖縄普天間基地近隣の住民は大変
でしょう。試しに離陸の騒音を聞いてみません?貴方も考えが変わると思いますよ

  
それでは、国道45号線の旅の始まりです。
途中ラーメン屋で醤油ラーメンをオーダー、出てきたものはこれもやしラーメン?中身は醤油タレ、
麺、モヤシだけ、勿論焼き豚なし、これまでで最低のラーメンでした。

野田村の海岸線
重機が忙しそうに瓦礫の処理をしています。聞けば重機の絶対量が不足しているとか。

  

野田村の海岸、今は何事もなかったように静かな海です。

  

道の駅田老
ここは海岸線から離れていること、標高もかなり高いことから津波の被害を受けなかったようです。
それにしても店員はまるでやる気なし、平日とは言えレストランが4時閉店とは何事か。

 
駐車場マスは国道に直角でここで宿泊するキャンパーはあまりいないようです。
休憩で立ち寄る車はそれなりに、少し不満であるが安全第一、今晩の停泊場所とします。

9月21日
普段は車の中にインスタント味噌汁、レトルトカレー、インスタントラーメンは置いておくのだが、
今年の夏の暑さの為に全て撤去中、あるものはパックご飯のみ、電子レンジで温め、道の駅か
ら買った前沢牛入りのおかずで朝食、少し甘過ぎ、、おかずなのであるからもう少しパンチがあ
ってもよさそうだが。


  

田老漁港
正面のコンクリートの堤防の先が海岸、堤防の高さ5mぐらいあるだろうか
津波はこの堤防を簡単に越え、周辺にあった家屋を全てなぎ倒していったものと思われます。
遠くにコンクリート製の建物が残っていますが、庁舎でしょうか?

  

基礎が辛うじてここに家があったことを確認できる。
堤防に上る鉄製の階段も津波で曲がっています。

  

ほとんどの建物が消失、外観を保っているのはコンクリートの建物だけ。

  

道の駅みやこ
何度もテレビで放映された宮古市、「道の駅宮古」に行ってみることに、湾内に位置し堤防も低い
水揚げされた魚のおこぼれに預かろうと「かもめ」の軍団がすごい。

  

道の駅の駐車場で一服、右写真が宮古湾、その先が太平洋、この湾内を津波が上ってきたのです。
全てのものを飲み込み、破壊しながら。
  

湾内から後方が宮古市、道の駅は津波被害にあい1階部分はコンパネで封鎖されている。
再会はいつになるのであろうか?

  

左の写真の中央部に津波の痕跡が、右写真の建物も外観が残っているものの使用されていない。
高台にある建物は辛うじて助かったか

 

道の駅やまだ

「道の駅やまだ」で休憩、ここも標高の関係で被害がなかったようです。

  
山田湾、
ここも何もなかったような静かな海である。
  

湾の内陸部、盛り土をしている重機、宅地になるのであろうか。

  

釜石湾
1階部分は流出、鉄骨が残っている。


  

津波は7〜10mもあっただろうか、手つかずのまま。

  
12:30
「道の駅さんりく」で昼食、昼時とあってかなり混雑していました。

  

陸前高田
陸前高田市が近づいてきました。クロ松林の防潮林が津波でなぎ倒され、1本残ったのは記憶にあるところ。
何せ、ここは三陸海岸にありながら標高が低く、平地がゆえに大きな被害を受けた。

  

千雅夫が以前所有していた「ホテル1000」外観は残っているものの被害を受け休業中
地盤沈下のためであろうか、土嚢が積まれている。
  

道の駅高田松原

右写真が「道の駅高田松原」ここを含め市内は標高が低いため大きな被害を受けた。
この道の駅は何度となく宿泊したところ、ここのレストランの海鮮丼は安くて美味しかったがもう
食べられない。
「徳仙丈山のツツジ、平泉黄金文化を支えた金山を巡る旅 2010.6.10〜6.12」
と比較するとその変わりようがわかります。

  

道の駅の駐車場もこの通り、今は何にも使われていません。工事車両であろうか、トラックが行き
かっています。
  
陸前高田市の前景、この辺一帯が市街地で家屋がビッシリ立っていたが、今やこと通り、遠くのコンク
リート製の建築以外は全くみられない。
  
どこの被災地をみても同じよう光景、コンクリート基礎が残るのみ、ここに以前は家があったことが
わかる。
それも、月日がたつに従い雑草に隠れ風化されようとしている。
この地に住人が戻ってくることはあるのだろうか。
  
遠くの杉林、一部枯れたものも見られる。海水によってダメージを受けたのであろうか。

  

  
南三陸町
大きな被害を出した町である。町の防災庁舎の3階まで津波に襲われ、多くの被害者を出した所でもある。
今もボランテアが忙しく作業している。
  

  
数少ないガソリンスタンド、営業を始めているようです。

  

ホテル観洋
ここは標高の高いところにあったために津波被害を免れ、多くの避難民を受け入れマスコミにも報じら
れたところでもある。
  

あとがき
東北自動車道を使えば我が実家までは350qであるが、今回帰りは三陸沿岸を通る国道45号線で
帰ってきたために走行距離は480q、思いもよらなかった130qも遠い旅になった。
3.11地震による大津波の被害は三陸沿岸各地へ大きな被害を与え、今尚、瓦礫処理を行っている
状況であり復興とはほど遠い感覚を受けた。
これから、集積された瓦礫の処理、町づくり計画策定、住民説明、復興と長い年月が必要になるでしょう。
新しい町が早くでき、活気のあふれる三陸が一日も早く戻ってくることを願わずにはいられない。

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