福島県相馬野馬追
08’7月24日
解説によれば
相馬家の始祖はいまからさかのぼること一千年有余年の昔、新しい軍事力として馬の活用を考え
下総国葛飾郡小金ヶ原(現在の千葉県流山市付近)の野に野生の馬を放牧し、関八州(北関東
八ヶ国)兵を集め、野馬を敵兵に見立て野馬を追い、馬を捕らえる軍事訓練として、また、捕らえ
た馬を神前に奉じ、妙見の祭礼として行ったのに始まったと言われる。
その後,元亨3年(1323年)、相馬氏は現在の南相馬市に移り住んでからも代々の相馬領主が
、明治維新までこの行事を続けたとあります。
相馬家は鎌倉時代より幕末までお国変えのなかった希少な藩であり、現在でも総大将は相馬家
の子孫が努めている。
祭りは3日間に亘り行われるが、相馬市で行われ最も有名な「神旗争奪戦」を見ることに。
今回は義理の兄夫婦と一緒である。
今年は歴史が一つのテーマであるので、できるだけ歴史に関係するイベントを見ることに。
合戦になるると各地から大将のもとに参集する。
参上した順に名乗りと基数を報告、主君に対する忠誠心の証か。
歴史では寝返りが通常行われていたと思うが、その空気を読むのが主君の力量であったと思うが。
各地から参集
おそらく主君への忠誠心が騎馬数、馳せ参じる時間が尺度になっていたのではないだろうか。
はせ参じた騎馬、やはり言うことを聞かない馬がいます。
どうしても従わない、なだめているが前足の片側を前後に振り、拒否しているのがわかる。
人間と馬の信頼関係でしょうか、突然ご主人が変わったら馬と言えども納得しないであろう。
事前に信頼関係のための訓練をしているでしょうがこの観客ですから無理もない。
馬は犬と違う、だれでもいいというわけではない。俺は命を懸けていると主張しているようだ。
人馬一体とはこのことだろうと納得。
甲冑騎馬
先祖伝来の旗しをなびかせ失踪する。
甲冑を着用、旗の風圧が大変であったと思うがこの旗は一族の名誉であったろう。
一周千メートル10頭立てで行われる。
女性も参戦
強くなりましたなあ。残念でしたが
神旗争奪戦
花火の打ち上げ、神旗が降りてくる。
その神旗を取った騎馬が大将の元に馳せ散じる。人馬一体となったこのような訓練がいざ戦場では自
分の身を守るために大事なことであったろう。
やはり、というか乗馬する人は普段は会社員がほとんどであろう。
このイベントのため訓練するであろうががにわかつくりは否めない。
落馬による怪我人が、待機している救急車で搬送。
残念であるが、その時代はあたりまえのことであったろう。
神旗を取ったもの大将の元に報告
勇ましい勇者が、勝ち名乗りを
女性の騎士が神旗をゲット
昔は女性はこのようなことはなかったと思うが、現代では女性は強くなったからこれもありでしょうか。
来年は武者行列を見たいものです。