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青葉城


豊臣秀吉の頃、後の仙台藩祖伊達政宗公は、天正19年(1591)以来58万石を領して玉造郡岩出山
城に在ったが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応した会津の上杉景
勝を牽制し、家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により新たに刈田郡を増加、仙台60
万石(後に近江、常陸でに2万石増加)に封ぜられた。
この時政宗公34才、大いに工を起こして仙台城を築城、同時に戸数1万8百、人口5万2千の城下町
を開いた。

                          本丸跡から広瀬川を望む
  
青葉城は伊達正宗が造ったとこで有名であるが現在はその面影を残すものはない。
石垣が当時のまま残っているのみである

                     お馴染の本丸中心にある伊達正宗像
  

                             本丸からの見下ろした艮櫓跡下の石垣

  

    この通り広々としています              伊達家の墓所(大念寺山)
  

青 葉 城

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