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伊達家ゆかりの北山五山
2009.11.10

鎌倉時代、仏道への帰依が厚かった伊達家4代・政依公は、自身の菩提寺として福島県伊達郡に
「東昌寺」を、先祖の菩提寺として4つの寺を創設。京都や鎌倉の”五山”にちなみ「伊達五山」と呼
ばれ「北山五山」の前身になりました。
その後、米沢、岩出山と伊達家の居城の変遷と共に寺もついてまわり17代正宗公の仙台築城に
際し現在の北山へ

「資福寺」「覚範寺」「東昌寺」「光明寺」そして現在は柏木に移転した「満勝寺」の五つの臨済宗の
寺を総称して「北山五山」と呼ばれている。
一説には移転した「満勝寺」に代わり北山の西側にある「輪王寺」を含めて北山五山と呼ぶこともあ
ります。
しかし、これは初代を祀るには手狭だということで、柏木へ移転したのが1667年宗派を考えてても妥
当だとは言えないようです。

仙台城下、北の守りとして北山に配された五つの名刹。それぞれの寺が隣接し、伊達家の歴史を物
語る。

  

「輪王寺」
伊達家の居城と共に移転し、現在地に移ったのは十七代・正宗の慶長七年(1602)の時、以後伊達
氏の庇護のもと、奥州における曹洞宗として三百余年の歴史を誇る。

  

裏には立派な庭園があり、入場料300円
  

池も綺麗です
  

四季それぞれの顔があり、6月〜7月頃にはあやめ園も見られるようです
  

  

今は紅葉が見ごろです
  
    赤痢菌を発見した志賀潔の墓があります


正宗の三男・竹松丸とその殉死者の墓
その他にも会津白虎隊唯一の生存者の墓、陸軍大将の墓、仙台の私立大学創設者の墓など
  

「輪王寺山門」元禄4年(1691)四代藩主伊達綱村により創建、明治9年(1876)北山大火によって
残った唯一の遺構である。
江戸時代中期の手法を伝えているそうだ
  



「資福寺」

別名花寺とも呼ばれるそうだ、四季を通じさまざまな花が境内を飾る
中でも梅雨時のアジサイはきれだそうだ
  

  



「覚範寺」

正宗の父、十六代・輝宗公の菩提寺として創建
  

  

                        ヒョクヒバ、樹齢250年
  

保春院の墓
正宗の母、保春院は正宗の弟、小次郎を偏愛し小次郎を擁立するため天正18年(1590)正宗毒殺を企
てるも失敗、正宗自ら小次郎を成敗。
元和9年(1623)正宗は京都で死の報を受け、夫、輝宗の菩提寺である「覚範寺」に葬られた
  



「東昌寺」

伊達家最初の菩提寺として創建、最も重要視された寺で芭蕉の辻から真っ直ぐ伸びた街道の突きあた
りにあり鬼門除けの寺とされた
山門につながる階段
  
山門から中に入ると、樹齢350年のアカマツ
  

  

                        樹齢150年のコウヨウザン
  

樹齢500年のマルミガヤ
正宗が鬼門除けとして植えられたと伝えられている
種子は代々藩主の食用にに供されたと言われている
  



「光明寺」

伊達家初代・朝宗公夫人の菩提寺として創建
イスパニアに派遣された支倉常長の墓、案内役を務めた宣教師ソテロの墓もあります
  

各寺はこのような遊歩道でつながっており、ゆったりとまわることができる
  

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