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東日本巨大地震その1
2011年3月11日14:46分、突然の大きな揺れ、私は自宅のマッサージチェアでマッサージ中、
様子をみていたが余りの揺れの大きさに外に飛び出した。
逃げる途中、駐車場の中のジュニアが上下に激しくバウンドしているのを記憶している。
とりあえず道路に避難、電柱が揺れで唸り声をあげている。
一向に揺れが収まる気配がない、というか更に勢いを増している。非常に長い時間に感じた。
軽自動車で走っていた若い女性、道路にへたり込んでどこかに電話している。


地震対策
近い将来、「宮城沖地震」が高い確率で到来するとされていたので、我家では家具の倒壊対策、
食料、飲料水の備蓄はしていた。
建物は木質パネル工法でツーバイフォー工法に似た構造であったためか、地震に強く、建物その
ものの被害は皆無でした。

食器棚、サイドボード
食器戸棚には開かないような金具を取り付けていました。
閉め忘れた所がこの通り、食器が飛び出しました。効果は歴然としています。
倒れないように梁に金具で固定。内側に透明なシートを張っていますのでガラスが割れる心配あり
ません。

  
食器棚にはこのような金具が食器飛び出しには有効ですが、震災後は全く品物がありません。
食器棚の転倒防止には金属のアングルがいいですが、チェーンでもいいです。

  

書棚
ガラスにはフィルムを張り付けていたが、飛び出し防止策をしていなかったために書籍はほとんど
飛び出した。
転倒防止のチェーンが効果的でした。
突っ張り棒も効果があったと思いますが、天井側に支持柱があることが条件です。

  

震災後、開閉防止金具取り付け


洋服タンス、和タンス
壁に直接固定できないために、突っ張り棒と、チェンーンで倒れるのを防止
おそらく、突っ張り棒の上には支持する間柱がないので機能していないと思う。自由度のきく
チェーンが有効でしょう。
  

  

パソコンラック、テレビ固定
パソコンラック、キャスター付なので地震時には転がり、免震構造と同じ働きをします。
テレビは強固なひもでテレビとフックで固定
  

空中に浮かぶコップ、サイドボードに入れておいたカップがずれてガラスサイドボードのガラスの
間に入ってしまいました。ドアを開けば落ちて割れてしまいます。
はて、これを壊さないで戻すには?
そんなことはできません。カップが落ちてもいいように座布団を置き、いちにのさんでドアを開け
ましたが2個位は破損、全てを助けることはできませんでした。

  

震災後、カップが動かないように滑り止めマットを敷き詰めました。


部屋の状況
まあ、この通りぐしゃぐしゃ
2階の空部屋は物が落ちているがそれほどでもありません。
左が2階の部屋、右が1階の玄関踊り場、散乱しているのが缶詰の数々
  

1階リビングルーム

物は散乱しているが、金具で固定していたために食器棚からの落下物はありません。
右の写真は食品収納庫、かなりの物が外に散乱しました。
  

震災後、ドア開閉防止金具取り付け



自作の工房
ツーバイフォー工法で造った「趣味の工房」被害を受けることなく問題ありませんでした。
中の物が落ちることもなく耐震性は抜群でした。
右の写真は震災直後ですが、この通り全く被害を受けていません。
考えられることは、平屋構造で軽かったのだと思いますが。
もしかしたら、コンクリートブロックが動き免振構造になったかもしれません。
  

コンクリートブロックの上に土台を載せコーナー4カ所、中間2カ所にアンカーを入れている。
土台からのズレもない。全く信じられないことです



家内が津波から危機一髪脱出

3月11日
地震直後から全面停電、とにかく情報を得なければということで、災害対策車donkame 指令室へ。
発電機を稼働、テレビで状況を確認。
テレビの画面を見てビックリ、自衛隊のヘリからの撮影映像で名取川を遡上する津波が民家を飲
み込む様子の映像がでているではないか。

心配ごとは多賀城方面に行っている家内、このままでは津波に飲まれることになる。
幸い、この時点ではケイタイメールは使える。これで指示を出すことにしよう。
着信によると家内は多賀城にいるとか
これは危ない、逃げろ、川の近くから逃げろ、それができなければ、近の鉄筋コンクリート造
りの建物へ逃げ込めとメールを送信。
どうやら本人は事の重大さを認識していないようだ。

今何処?多賀城の橋の上、消防団の指示で車の中で待機してくださいと指示を受けているようだ。

しばらくしてからメールが着信、避難所にいるというメールを受けひと安心。
どうにか、津波から逃げることができたようだ。
後で家内から聞いた話では
すぐ上の姉と多賀城の隣町の利府町で被災、姉の旦那さんと連絡が取れないとのことで、安否確認
のため勇敢にも津波が襲来するという多賀城に向ったとの事。無知以外の何物でもない。
それも仙台港の近くまで行くとは、良く助かったものだ。

一時は車も諦めて避難を決意したそうだが、後からパトカーが我が家の車の前に来てUターン、
それについていったらセーフ、我が家の車の後3台目からは水没したようである。

(津波の襲来で一般車の誘導を断念、パトカーが逃げ出したとも言われていますが)
車には何かぶつかる音がしたが怖くて見れなかったそうだが、流木?それとも人間かも?
家内は多賀城の避難場所で2日過ごし3日目で自宅へ帰還しました。

ジュニア生活

ジュニアを購入理由の一つに、近いうちに来るであろう宮城沖地震への「震災対策車」の位置づけを
しておりその為の準備もしておいた。
車のガソリン、発電機の燃料が満タン、水タンクは地震直後に満タンにしたが、水が出たためにポリタ
ンクには水の確保をしなかったのは失敗。
これだけあれば、ある程度の活動しながら1週間の籠城はできるはずである。そのうちライフラインの
復旧により発電機から自宅の外部電源へと切り替えれば、ガソリンの消費を抑えられる。

食料の備蓄
ジュニアで旅行する時にはレトルトカレー、味噌汁、パックご飯、缶詰等の食料を準備している。買い置
き、冷凍食品を含めれば夫婦で1カ月は大丈夫でしょう。
そうそう、米は60`位あるから、いざとなれば何カ月でも、問題はアルコールか。

  
3.11
ジュニア指令室です
このような停電時でもテレビからの情報を取ることができます。
我が家は物が散乱しており寝られる状況ではない。度々の余震が来るので安心して寝ていられない。
しばらくはジュニアでの生活で生活することにしよう。
家内は多賀城で被災、今日は避難所で過ごすのだとか。迎えに行こうにも道路状況がわからない。
当面、情報収集に努めましょう。
このような状況でも変わらぬ私、本日も牛タンをつまみにして変わらぬ晩酌

  

発電機の燃料確保

ジュニアの発電機は生活の基盤になります。
照明、電子レンジ、温水器、テレビ、携帯の充電など
地震前には発電機の燃料タンクは満タンにしておいたものの足りなくなります。

そこで、車の燃料タンク(満タンにしておいた)からガソリンを取り出します。
(今の乗用車はホースが入りませんがトラックであるジュニアは入ります)
以前に購入しておいたポンプでブルーの所を押すと携行缶にガソリンが流れてくる。
こんな場面でポンプが役立つとは思わなかった。
20リットルの携行缶もこのような時に役にたちます。
  

電気のおすそ分け

ジュニアの電源はお隣にも分けてあげることに、お互い様ですから。

3月14日電気開通
電気が開通しました。こうなればジュニアに外部電源を引き込み発電機は使用しなくてよくなります。

  
水の確保
3.13
3日目には給水車がきましたが、この通りタンクを持った行列、とても並ぶ気にはなれません。
ジュニアのタンクには概ね100リットル位残っています。そんなに慌てなくよろしい。
日が立つにつれ状況は良くなるはずで、今は残りの水で耐えることにする。そのうちに水も手に入り
易くなるでしょう。
近くの中学校のプール、これはトイレに使う水です。
我が家のトイレタンク、旧式のもので水を多く使用する。問題はこの水をどのように運ぶかだ。
風呂の残りがあるが残り少なくなってきた。(
  

こんな緊急時でも車両侵入禁止だと、きまりだからこれが正解だろうが、心がないねえ。
普段地域住民には騒音、砂埃などで迷惑をかけているのだがその辺は無視、トップの資質の問題でしょうな。
今は緊急時、緊急時ですぞ校長、この水をどうやって運ぶというの
  

トイレの水はお風呂の残り湯、概ね1/3程度か、これを大事に使ってゆくしかない。
日を追うごとに量がすくなくなってゆく。我家では「大」は基本的には屋内のトイレ、「小」は水
の消費が少ないキャンピングカーのカセットトイレと決めている。
雪、雪解け水も大切な資源、集めて浴槽へ、キャンピングカーのシャワーで使った水は廃棄す
るのではなくトイレの水として立派に使用できます。
  

3月17日水道開通
隣のパークタウンがいち早く水道が復旧したとか、友人宅にジュニアで乗り込み、ジュニアタンク
160リットル、20リットルタンク2個、ペットボトル10本、20リットル合計220リットルを確保
隣近所に配ることにしました。我家はジュニアのタンクがあれば十分です
こうなれば水の心配はありません。安心してシャワーを使うことができます。

食事
まあ、キャンプと思えばそんなに苦にならない。大変な状況であるが楽しんでやることにしよう。
これぐらいのことはキャンプ場では普通のこと。
カセットボンベは6本ありますから当分大丈夫でしょう
バーベキュー炉で廃材を燃やせば大分凌げるはずです。
  

パック式の餅もタップリあります。
冷凍室にも田舎のお袋が送ってくれた餅が大分残っています。
海苔餅、納豆餅で頂きましょう。
  

3.14
家内の親戚が多賀城で被災、3家族は避難所で耐乏生活をしている。
話によると1食分でオニギリ半分かパン半分だとか。
ジュニアの発電機でご飯を炊くことに、これでオニギリを作って持っていくことに。
避難所はこの通り、避難民で一杯、時折余震にびっくり
  

トイレ・携帯充電
大は家の中のトイレでお風呂の水を流して、小はキャンピングカーのカセットトイレにしました。
それも6日目で遂に満杯です。下水にダンプすれば完了、多少水を使用して簡単清掃。
震災により近所で困ったことは携帯の電源、安否確認のために携帯を頻繁に使うものだから充電
が必要に。
バッテリーにインバーターをつないで携帯の充電を,皆さんに喜ばれました。
テーブルタップを使えば1回に3〜4台一度に充電できます。
  

暖房
灯油の購入は当分できそうにない。
これまでの温水ルームヒーターから熱効率のいいファンヒーターを使うことに。
この時点で灯油残りが18リットルポリタンク1個半、タンクにはポリタンクで5個程度であろうか。
まあ、1カ月は持つでしょう。

3.18
被災地多賀城市
震災から1週間、津波の被害を受けた多賀城に行ってみることに。
周辺の車は全て水没、使用することができない。中には何処からか流れ着いた車も。

  
国道45線の路肩に止まっている車もすべて水没、放置されたままである。

  

ガソリンを求める行列
塩釜港、多賀城の製油施設が損壊、ガソリンがほとんど入ってこない。
ガソリンを求めて長蛇の列、車を置いて自宅へ、明日の朝に給油するつもりでしょうが、ガソリンス
タンドには入荷の予定はありません。いつ来るかわからないタンクローリーを待ちながら
  

バーベキュー炉が活躍
多賀城で被害を受けた親戚に炊き出し。
バーベキュー炉を使って豚汁を作ってみました。
燃料は処分に困っていた廃材ですから一石二鳥ですな。考えてみれば色々な工夫ができるものです。
キャンピングカーに支援物資を積み込み避難場所に行ってみることにしました。

  

3.14

浸水被害家屋
床上1.1m
  

浸水の跡がくっきり、3本線があるのは津波が第3波まできたのでしょう
石油タンクには140リットル入っていたそうだが、近所を捜索した結果、タンクは見つかったが
中の灯油は抜き去られたあと、空っぽでした。

  

テレビもこの通り、買ったばっかりの42型テレビ、もう少し配達が遅れていれば助かったものを。。
タンスも廃棄処分

  

重油とヘドロの混じった泥を取り去った後も、床にこびりついた重油が浸み込んで黒光りしている。
これ以上はどうにもならない。
  

水を吸った畳、二人でどうにか持ち上がる重さ。
重油が入り込み、勿論廃棄処分です。
  

  
お風呂には重油とヘドロで臭い

  
洗面台の上まで水があがりました。どのように復旧したらいいやら
  

庭の土は重油がタイヤの溝に食いこみ雪だるまのよう

  

電化製品は全てゴミになってしまいました。冷蔵庫、洗濯機、電気釜、掃除機、ファンヒーター、
テレビ等等

  

台所も何処から手をつけていいやら

  
3/21
酒を求める行列
1週間目でどうにか開店した酒屋さん、生活必需品でないためかそれほどの品薄でもなさそう。
でも一人10点までだとか。
私にとっては生活必需品です。焼酎1本、ワイン1本買ってきました
  

物がないスーパー(3/21)
10日目でスーパーが開店したようなので行ってみたが、この通り何もありません。
サケの切り身がありましたので買ってきましたが、何でこんなに高いの?
まさか便乗値上げではないでしょうねえ。

  

3/22
近所の肉屋さん開店するも、この通りの行列。
  

3/23
 近くのスーパーが開店 10人づつ入れ替えで入店、でも欲しいものはほとんど手に入らない。
 特に乳製品は全くない。

  

3/23 少し物資が入ってきたようです
卵が久しぶり
  

     今日の買い物です                 支援物資で冷凍のカレイの煮つけ
  
中国の支援物資 チキンラーメン
味はコメントできませんがありがたものです

ガソリンの携行缶が重宝したようで、ホームセンターでは売り切れ、何処にもありません
これはキャンピングカーの発電機の給油用として買ったものであるが、普段はガソリン満タン
20リットル重くて使いにくいと思っていたが、このような緊急時にはピッタリです。

  

今日が3月28日、震災後17日目である。
依然としてガスの供給が止まったまま、急ピッチで工事を行っているようであるが、まだ数日ぐらい
かかるでしょう。
シャワーはジュニアでできるものの、ゆっくりお湯につかりたいものです。

4月10日
大阪ガスさんの懸命の復旧によって都市ガスが復旧致しました。
これで、やっと普通のお風呂に入れます。
我家では建物の被害、津波の被害はありませんでしたが、地域によっては大きな建物の被害も
数多くあります。復旧には大きな時間と費用が必要になるでしょう。

被害を最小限にするには、日頃の準備につきるでしょう。
建物の場合、耐震構造にする。特に瓦屋根の場合、重量が重いため耐震構造でない場合損壊の
危険がある。今回の地震の場合でも、ほとんどが瓦屋根です。
耐震費用の助成もあるのでうまく利用したほうがいいのでは。
個人としてできることは、家具の転倒防止、食料の備蓄等生活の最小限の準備でしょう。
我家では普段から準備していたので、今回の地震でも特に不自由は感じませんでした。
特にキャンピングカーは独立した生活空間を持っており、且つ、食料等も備蓄していたため
に助かりました。
特にに発電機を搭載していたのが正解で、旅先での旅行と大して変わらない生活を送るこ
とができました。

問題は肝心なガソリン不足に見舞われたことで、これだけはどうしようもありません。せいぜい、携
行缶に買い置きする程度でしょうか。20リットルあれば4日程度は発電機を回せると思います。

備えあれば憂いなしですか

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