震災その4 名取市閖上地区
よく釣りに訪れる所であるが、景色が全く変わっている。
一面平坦な更地、そこにはコンクリートの基礎が辛うじてそこに家屋があったことが確認できる。
こんなに広い面積を有する町だったのかと改めてびっくり。
残ったのははコンクリート、鉄骨の数戸の建物だけ。
周辺に比べ7〜8m位もあろうか小高い丘が、鳥居があるので神社でしょうが、建物は見当たらない。
石碑「鎮魂」の文字が、津波で倒されたであろうことが推測される。
この高台から周辺を見渡すも、この通り一面平坦地が広がっているだけ。
鉄筋コンクリート製のアパートでしょうか原型をとどめている数少ない建物。
縦横に走る道路が最近までここが生活の場であったことを確認できる。
閖上漁港数隻の漁船が係留されているが、どれぐらいの被害があったのか。
右の写真は名取川の河口、ここから名取川を津波が遡上していったのでしょう。
これが名取川、通常は堤防下部分で釣りが行われているが、かなり水位が上がっている。
水位が上がったのではなく、おそらく地盤沈下によるものでしょう。
老人施設、外観はそのままであるが 水産加工場であろうか?
1階は津波の抜けた痕跡が・・・・
開業医院、鉄筋コンクリート製であるが、解体中
閖上地区から名取川を挟んで反対側
舟の残骸がそのままになっています。 1階を津波が抜けていったのであろうか、鉄骨を残すだけ
この地区も海の近くだったこと、平坦地形で海抜が低かったとこ、逃げる場所がなかったために多く
の犠牲者を出している。
一日も早い復旧復興で安心して暮らせる町になってほしいものである。