戻る

多賀城国府跡
大化改新以降、国家の中央集権化を目ざす朝廷は、支配地域の拡大に力を入れていた。
当時、東北地方には「蝦夷」と呼ばれる人々は、朝廷への帰属を拒否していた。
これらを治めるため、724年築かれたと伝えられる、古代東北地方の政治、軍事拠点。陸奥国府や鎮守府
(軍政府)が設置された。
  

                          道路反対側から政庁跡をのぞむ

  

                              石段の上が政庁跡
  

           政庁跡
  

                           復元予想
  


  

      石段の上が政庁跡


2012.8.9
3.11大震災によってコンクリートで封印されてい政庁跡が被害を受け、コンクリートに亀裂が入ったことに
より再度発掘調査が行われた。
その結果、これまでは判らなかった数々の謎が判明、調査の結果の説明会が開かれたものです。

  

赤い丸太状のものは柱に似せた張りぼて、基礎と柱の位置関係の説明のためのもの。

  

歴女が沢山集まって参りまして熱心に説明を聞いています。

  




  

  

ここが、焼土の跡だそですが、現地では違いがわかりませんでしたが写真で見ると確かに色が
変わっているような。
  



  

  

  

  

奈良県から坊さんが来ておりました。
格好からかなり偉いお坊さんとお見受け致しますが。
  



  

  

    多賀城政庁跡

戻る