瑞巌寺
2009.3.15
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の
造営と併せて神社仏閣の造営も行い、塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相
次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、
海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら
名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604年)、政宗自ら縄張りを行って始
まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609年に)完成しております。
臥龍梅(がりゅうばい)
慶長14年(1609)、当寺落慶の時に政宗公自ら手植えしております。
瑞巌寺本堂
庫裡・国宝 惣門、この奥に瑞巌寺
松島海岸、遊覧船船着き場
松島瑞巌寺